SolemnAir-home…小説…WORDS■19■JACK
■次女はやがて両目を棄てて歴史を語るカナリヤ

「姉さん。どうして解ってくれないの?」
涙声で弟は姉に言った。
両手を硬く握り締めて、唇を噛み締めていた。
強く強く、手のひらに爪が食い込むほどに、唇から血が滲むほどに。
その弟を前にした姉は頭一つ分目線の違う弟に言った。
「私は、あなたの人形ではないの。ましてあなたの所有物ではないわ。」
声は低く、されど女の細い声。
弟にはその声はどんな太い声よりも高い声よりも響いた。
なにか鈍器で殴られたような響き。
薄暗くなり始めた城の一室で、廊下が騒がしいことなど嘘のように
二人がいる空間は重たく静かだった。

あらゆるものを捧げて手に入るなら、弟は全てのものを捨てるつもりだった。
他のものなど匹敵するはずも無く、抜きんでて欲しかった。
力ずくで押し倒せば手に入るかもしれない。
弟は、姉が欲しかった。その心が愛しかった。
きつく寝台に押し付けた姉の細い腕は折れそうなほど弱く、弟は握り締めた。
もはや理性の淵にいない弟を、姉は真っ直ぐに見つめてなされるがまま身を任せた。
もとより抗えるほど、対等な力ではなかった。それは姉と弟の差というよりは男女の差。
弟は理性を捨てて、姉を欲しがった。


弟が得たものは空虚。
抱きしめれば抱きしめるほど、
目の前にいる女が自分の物ではないことを実感した。
姉は一度たりとも自分から弟には触れようとしなかった。
ただ姉は、いつも弟の端正な顔を真っ直ぐに見つめていた。
同じ赤い髪が触れては混ざり合い、そして再び分離する。
決して、この赤い髪が溶け合うことはないのだと姉は弟に気づいて欲しかった。

弟はやがて苛立ち、自分の物と信じて疑いたくもないのに
いつまでも手にした実感が得られないことに、その憎悪を深めた。
姉をたたいては、その傷ついた顔が愛しく
いつか自分に縋りついて来る日をと、その衝動は激しくなった。


「俺が移籍だって?冗談じゃない!」
愛しい女の部屋に飛び込んだ弟は、かつてないほど激しく強く怒りを見せた。
唯一つ、その日の事情がいつもと違っていたのは、姉が黙っていなかったということ。
「移籍よ。決定権は私にある。」
蓄積された姉への苛立ちと憎悪。堆積していった弟への哀れみ。
柔らかく大人しい姉は、もはや揺るぎようもないほど強く構えて弟に向かった。
激しい罵声と、静かな口論。
それはケンカでさえなく、争いにもなっていないほどのすれ違い。
「姉さん。どうして解ってくれないの?」

欲しかったのは姉の心。
欲しがったのは自分への降伏。
一方的な愛を語り、自分の心が大事な弟は姉を踏みにじる。
「私はあなたも妹も大切で好きよ。けれど、あなたに応えるものはない。」
それは柔らかな、断固たる拒絶。
姉への愛情は、とっくの昔に狂気に代わり
弟への慈しみは、寝台の中で静かな別離へと導いた。

どこでこんな風になってしまったのか。
弟が他国へと移籍になり、姉は取り戻された平穏の中湧き上がる感情を知る。
それは幼き日に大切だったものを権力というもので完全に切り離してしまった重さ。
いつも傍にいた弟の優しい笑顔とその真っ直ぐな情熱。
二度と手にできない、強制排除してしまった温もり。
姉は自分の何かがぎちぎちと音を立てて軋み始めていることを自覚した。


久しぶりに対面した姉弟は、昔のようにはいかず。
姉は弟を切り離した苦痛を新たに得ては、そこにあったのはなぜか後悔と懺悔。
弟が向けたのは激しい憎悪と愛情から成った狂気。

「私は、ただ見ていたの。知っていたのに止めることもなく。
 ただ、見ていたの。姉さんが壊れていく様も、あの子が憎む姿も。
 本当なら仲良くつなげるはずの二人の手を、私が振り払って切ってしまった。
 橋渡しは私にしかできないことだったのに。ただ見ているだけで。」


やがて姉は静かに壊れ始め、弟は静かに狂気を姉へと向けて、
異変に気づき、周囲が目にしたものは見るも無残な姉弟の屍。
凶器を手にした弟は涙を流し、身体から離れた姉の首は静かに笑い
自然に寄り添い、仲のいい姉弟、昔のまま。


「ようやくパウロはカルロを手に入れた。そして私は二人を失うのね。」

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「くぁー!!すっげーむかつく!」
「誰が?」
「当然、この腐れパウロがだ。なーにが姉さんが好き、だ!」
「でも、私にしてみればカルロも相当いい性格だと思いますけど?」
「私はタリアが一番嫌いだな。要するに次女が仲裁すればよかったんだろう?」
「さすがラテン様ね。そんなに簡単にいくわけありませんわ。だいたいカルロも抵抗すればいいのに」
「コラコラ。ここでおまえらがケンカしてどうする。で?シャロ?どういうことだ?
 なんでこの三姉弟の名前が一族それぞれの姓になったかは書かれてないぞ?」
「これは偽物の[世界白書]。どこかにオリジナルの本物があるとか」
「偽物ですの?」
「そう。生き残ったタリアが書いた原本には、もっと正確に歴史が書かれているそうだ。」
「じゃあ、内容も偽物ってこと?」
「というよりも要約らしい。実際は移籍ではなく行政の追放処分だったとか、そういう違いだな。」
「ま、どうでもいいけどなー。俺はカルロ一族に捨てられた側だし。」
緩やかな午後、ハーン大帝国城の広間は久しぶりに集った仲間たちで賑わっていた。



「で、疑問に思わないのが不思議だよねえ。どうしてあの世界白書が偽者だってわかるのか。
 真偽なんて比較対照がないと解らないことなのにねぇ」
広間の上方で会話を聞いていた皇子はぼそりと呟き、古びれた本をパタンと閉じた。
著者はカナリヤ。表題も何もないその本は、キャルロス王国の歴史の裏側を克明に記していた。

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