SolemnAir-home…小説…WORDS■11■JACK
■ひどく傷ついた歌と柔らかな髪

閉ざされていた視界がひらけた時、シャロの目の前にいたのは金髪碧眼の見知らぬ人であった。
「んー。僕のことが解るかなぁ?」
少し幼い口調で目の前の人物は言った。
誰だ、と尋ねようと思ったが、自分は口を開いてはいけないことを思い出した。
何かを声にすれば、また何かの痛みを得る。黙っていなくては。
シャロは霞む意識の中で、漠然と手足が軽いと感じた。
(無い…何も付いてない…)
眠いのとは少し違う。
何かが襲ってきてどうもうまく自分を保てないのだ。

意識が幾度か遠のいては、目を覚ますと必ず彼が目の前にいた。
はっきりと目を覚まそうとすると強制的な何かが働く。
まるで自分は目を覚ましてはいけないような。
ちらりちらりと印象に残る金色を闇がまた飲み込んだ。

誰かが呼んでいる。シャロは昔から知っている声だ、と思った。
誰の声だっただろうか。
少し高めのひどく中性的な知っている声、だ。
突如、シャロの頭に朱髪が浮かんだ。
そうだあれは。あの声は。
「ラン!」
目の前に、朱色。
「シャロ。私のことがわかる?」
よく知った顔。最後に見たのはいつだったか。
体が重い。鉛のようだ。
思い出す。こんなところにいては。
早く自分たちは逃げなくては。
「…!」
(逃げないと!)
声がうまくでないことに気が付く。
どうなったのだ。自分は。
「シャロ?私たちは保護されたの。シャロ?シャロ!!……!!!」
シャロは意識を保てなかった。
(手が軽い…ここは、どこ………)
ダメだ。知ってはダメだ。
自分は目を覚ましてはダメなのだ。

気が付くとシャロは座っていた。
いつからこうしているのか、壁に背をつけてもたれかかっていた。
ふっと俯いたまま、視野に入る左手と左足首を見た。
枷が、無い。
首を持ち上げようとしたが、身体は硬直したかのように動かなかった。
何が自分の身にあったのか、と初めて思いつく。
(キャルロス王がいて、確か将軍に蹴られて…それから…)
はっと、気付く。
ここにいてはいけない。
身体は全くといっていいほど動かなかった。
早く隠れなければ。捕まってしまうのだ。あれら無数の手に。
シャロは自分の意識がはっきりしてきたことを自覚しつつ恐れた。
幸い手足に枷が無い今なら。ここが檻の中でさえなければ逃れられる。
それでも意志とは裏腹に動けなかった。
恐怖が膨れ上がる。動け、と願う。
シャロは無自覚のまま無我夢中で叫んでいた。

手が伸びてきた。
シャロは噛み砕いてやろうと思った。
口を開けることぐらいならできるだろう。
まさに力を込めようとした瞬間に、ぐっと顎に手が伸びた。
(絞められる!)
幾度となく経験した恐怖。
しかし、手は絞めつけなかった。
ただ、顎を上に引いた。
左手足しか見えなかった視界に光が差した。
視線の先に、あの金髪の少年とも青年ともいえぬ人物がいた。
手は、その人のものだった。

「シャロ?タリア=シャルロット?自分のことがわかる?」
何をきくのかと、抗議しようにも声は出なかった。
シャロには何がおきたのか全くわからなかった。
ただ、見覚えの無い場所だ、と思った。
次はどこに連れてこられたのだ。
また、自分は他国に裸のまま転がっているのか。いや服は着ている?
頭が痛い。意識が霞む。もうどうにでもなればいい。
「ここはハーン大帝国。君はこの国に移籍されたんだ。」
シャロはその言葉を理解できないまま、ただ目をつむった。

意識が覚めることは幾度かあったが、
眠りから覚めたのは久々のような気がした。
シャロは全身がやはり動かないことを知った。
「あ…」
声もろくにでない。
視界にまたもや金色が入ってきた。
「シャルロット?」
目線が初めて合った気がした。
碧眼を持つその顔はひどく穏やかだった。
「ここはハーン大帝国。僕はエイザ。この国の皇子だよ。」
「シャロ!」 ふいに馴染みのある声がして、見覚えのある顔が見えた。
「あ…ラ、ン?」
「解る?私のことが、解るのね?」
何を言っているのだ。同時期に生まれ共に育った者が解らないはずがない。
「自分の身に何が起きたか、どこまで把握できてる?」
「?」
シャロにはランが何を言っているのかわからなかった。
自分はランと共に、キャルロス王に献上されて…

何かが襲ってくるのを感じた。
隠れなければ。自分は、隠れなければ!
バシッっと音が鳴ったのが早いか左頬に痛みを感じたのが早いか。
痛みの後に二本の手が自分の上体を起こしたことだけがシャロにはわかった。
見慣れない部屋だった。
目の前にいる人物が、もう一度「僕はエイザ、この国の皇子だ」と名乗った。
背後にもう一人自分の背中を支えている者がいる。
「シャロ。」
声でランだ、とわかった。
「ここはハーン大帝国。それは解った?解ったら二回瞬き。」
それはさっきもきいたから知っている。二回、目を閉じて開く。
「君はこの国に移籍された。保護されたんだ。解る?」
「?」
結びつかない。まるで言語でないようだ。
「あのね。シャロ。私たちはこの国に保護されたの。」
ランが後ろから説明しているようだがいまいちつかめない。
「私たちが献上されてから、五年以上経っているのよ。
 そして、この国に保護されてから半年以上になるの。」
数秒間の沈黙があった。
五年?自分はついこの間王の前に向かったはずだ。
それに、こんな部屋は初めて見る。
「あ…?」
たまらず声を出した。わけが解らない。
「ずっと、正気じゃなかったの。でも、シャロここに来てからほとんど寝てないのよ。」
正気じゃなかった?
「何も考えなくていいよ。シャルロット?僕はエイザ。ここはハーン大帝国。
 これだけは次に目を覚ます時まで覚えておいて。ここは、誰も君を殴らない。」
視界が元の天井――だろう――に戻る。
(柔らかい)
布団だ、と初めて認識した。
目を閉じるのが怖い。
あの、闇の中で何をされるのかわからないから怖い。
ふと、額に何かが触れた。
温かい。これは、手、だ。
何度も頭をなでる手。
シャロは手に触ったことはいくらでもあるが、こんなに気持ちがいい手は初めてだ、と思った。
「シャルット?覚えておいて。ここは誰も君を殴ったりしないよ。ゆっくりおやすみ。」
ああ、あの声だ。幾度となく自分を呼び続けていた、正体不明だった声。
(エイザ…。ハーン大帝国の第三皇子……。)
確か、世継ぎ問題でもめていたような気がする。
遠い、遠い、まだ自分がキャルロスの城で笑い走り回っていた、遠い時。
そして、シャロはいつの間にか眠っていた。

***

「寝た、か?」
「寝たねぇ。」
「良かった…シャロだ…。シャロが戻ってきた。」
「面白かったなぁ。」
「何が?」
「ランが女の子の言葉でしゃべってるのが。」
「悪趣味…。シャロはこんな言葉遣いの俺は、知らない人、だからな。
 俺に言わせりゃ、おまえの『僕』てのがよほど面白いけどな。」
「それにしても、さすがタリア一族だねぇ。」
「?」
「ハーン語で通じるんだなーと思って。」
「そりゃあ、タリアとカルロ、どっちもお子様の一般教養だもんな。」
「リハビリは必須だけどね。半年間はまともに話せないと思うよ。」
「いいさ。とりあえず、シャロが『起きて』くれただけで。」
「正気じゃなかったもんねぇ。ま、これから先は長いしね。」
「おまえとシャロは気が合うと思うぜ?」
「そうかなぁ?俺は生まれ育ちが違うからちょっと心配。」

***

「目が覚めたらな、金色が見えたんだ。この金色が。」
「それで?」
「俺はこの温かい手に安堵した。」
「それであたしは兄上の代わりなのね。」
「違う。ただ、同じだと思ったのは事実だ。手も声も。」
「呆れた。立派に身代わりじゃない。」
「それでおまえは怒るか?」
「いいえ。エイザよりも優先してくれるなら文句は言わないわよ?
 ただ、あたしがその場にいたら何て言ったかしら?」
「決まってる。『ぐずぐずしてないでさっさと起きたら?』だ。」
「あはは。そうね。明日はそれで起こしてあげるわ。」
そうしてエリザは燭台の灯りを消した。


自分の袖をつかんだまますぐに寝入った男の額に触れ、そっと撫でる。
「大丈夫。もう誰もあなたを殴ったりしない。」

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