SolemnAir-home…小説…WORDS■4■JACK
■理屈じゃない想いに名前をつけないエリザ

変、だ。
エリザはすぐ横にある自分と向かい合っている寝顔を真っ直ぐ見ながら思った。
この人が無防備になるのは限られていると知っている。

利害の一致、だった。
それが理由の全て、だった。
皇女である自分も、宰相であるこの男も、特に世間体を気にしなくてはならない。
それでも、気に入らない輩と婚約することなど毛頭ごめんだった。
先に切り出したのは確か相手の方だ。
「エリザ。話がある。」と珍しく名前呼びで声をかけてきた。
そして男は言った。おそらく他の人が聞けば神経を疑われるようなことを。
「利害の一致で俺と婚約しないか。」と。
寿命が300年、青年期が長いこの人生で婚約期間は相当長い。
若い結婚は何も意味を成さない。結婚するというのは老年期に入ってからすることなのだ。
しかも婚約はすぐに破棄できるが、結婚すればなかなか離縁できない。
自分は六十歳か。婚約適齢期は四十歳前後だ。もう、俗に言う「売れ残り」だ。
相手の男も確かほぼ同い年のはずだ。お互い、か。
エリザはそれに同意した。
少なくともバカな男でないことはよく解っている。
おまけに干渉しない性格だとも解っている。
婚約しても問題ないだろう。
「いいよ。でも、私に得が無いな。」
相手の男には汚名がついている。いや、悪名というべきか。
エリザは当然とばかりに得を要求した。
「俺の給与、及び時間はおまえの物。それでどうだ?」
この城は、皇族だろうと将軍だろうと働かねば食べていけない。
ついでに言えば独裁的なフリをしてかなりの民主主義的な国だ。
皇帝代理の実の兄がまさに、そういった国にしたがっていたことを知っている。
そして、犠牲の上にそれは叶った。
「時間、って、つまり私に従うってこと?」 この男は自分の兄にしか忠誠心がない。
他の誰にも頭を下げない。
「俺の優先権を、与えるってことだな。」
「私に?……エイザとどっちが優先?」
「……。」
この男は、兄に対して強い思い入れがある。
「普通」に見ればそれは「異常」の域なのだろう。
これはいじわるだ。解っているが、少しぐらいいじめておきたい。
この男のせいで、この先苦労するのだから。
「おまえ、だな。」
エリザが返事はいいよと言おうとした時、相手が口を開いた。
「私?冗談でしょう?」
笑う。有り得ない。この男が、兄を二番にすることは有り得ない。
「エイザは自分の身は自分で守れる。」
「何それ。私が弱いってこと?」
エリザは少し、怒っていた。庶民育ちの負い目がある。
政治のことや駆け引きは今でもよく解らない。
「違う。俺のせいでいろいろ言われるだろうから、だ。」
エリザはきょとん、とした。
ふっと相手の男が笑った。ひどく哀しい顔だとエリザは思った。
「いいわ。それおもしろい。あんたの一番が私なんておもしろいわ。」

そして交渉成立したのだ。

最近、変、だ。
最初は自分の前では寝なかった男。
昔の怖い夢を見るから、とどんなに遅くなっても兄や親友と寝ていた。
三人とも一人では寝られないと、城の誰もが知っていた。

その男が最近自分の横で寝るようになった。
それも昔は浅い眠りだったのに、今は熟睡している。
ひどい時には自分の腕を掴んで離さない。

(変、だ。)
男の態度もおかしいが違う。
エリザは最近、いつもこの男と一緒にいることを自覚していた。
婚約したばかりの頃は、それまでどおり別の部屋で仕事をして
休憩や食事だけを共にしていた。
男は約束どおり、自分を最優先にした。
兄との時間より、自分との時間をとった。
それが、約束だから当たり前だと、思っていた。

けれど。

「どうした?」
ようやく目を覚ました男が真っ直ぐ自分を見ている。
「まだ、夜中だよ。」
また、だ。その声が、ひどく優しい気がする。
「その夜中に何起きてるんだ?」
静かに笑っている男。上体を起こして、ベッドに座る。
エリザは横になったまま見上げながら男を見ていた。

「夜の散歩にでも行くか?」
ふいに男が聞いてきた。完全に目が覚めてしまったらしい。
深夜の徘徊は誰であろうと禁止されている。
この城がひどく複雑で、普通は迷うからだ。
正確にハーン大帝国城を把握できているのは
この城を設計した目の前の男と、実の兄と、親友だけだった。

「行く。」
二人で寝巻き姿に一枚羽織って、部屋を出る。
暗い廊下を静かに歩く。
巨大な城だ。空間が魔法でねじれて、設計者以外誰にも把握できない。

「ねぇ。もし、あの二人と私を選べといわれたらどっちを選ぶ?」
エリザは隣で歩く長身の男に小声で聞いた。
答えなんかは要らないのだ。聞いてみたかっただけだ。
「こっち。」と男が自分と手をつなぐ。
「嘘だ。」と正面を向いたまま笑って返す。
「あの二人は、手を離しててもどこにも行かないけどな。
 おまえはこの手を離したら、あっという間にいなくなるから。」
「なに、それ?」
「なんだろな。俺たちは三人できれいにバランスが取れているけど
 三人で世界が完結してるわけじゃないんだ。エイザにはエーナがいて
 ランにはカルロスがいる。」
「カルロスは憎むべき相手でしょ?母上と同列になるのはおかしいわ。」
「いや?気にする度合い、がな。同じぐらい強いと思うぞ。
 愛と憎しみは表裏一体ってやつじゃないのか?」
「で?」
「だから、俺にはおまえ。」
「嘘だ。」
「だから、なんで否定するんだ…。」
「だって、エイザには母上が必要なのよ?あんたに私が必要?じゃないでしょ。
 あ、婚約者としては必要か。」
「ま、そうしとけよ。必要とすることと大切ってのは違うだろうけど。」
二人で暗い廊下を手をつないで歩く。

(期待するから、やめてよ。)

そんな言葉は痛いだけだ。

変、だ。
手をつないだだけで泣きそうな自分は変、だ。
利害の一致、それだけの関係なのだ。
自分は兄と親友と婚約者の三人の仲には入れないのだ。
はじめから、はじかれた存在なのだ。

解っているのに。
どうしよう泣きそうだ、とエリザは下を向いて歩きながらこらえる。

「俺たち三人は互いの傷の舐めあいの結果の相互依存だ。
 本当はそんな感情や関係は無い方がいいと、俺は思う。
 でも、もうエイザやランがいないことなんて俺にはもう、考えることさえできない。
 そんなところまで来てる。でもな。ああ、大事にしたいなと思うものは他にもある。
 エイザやランが麻薬みたいに無くてはならないものなら、花のように居場所のように
 在ればいいなと願うものが別にある。無くても生きていけるけど、絶対にあって欲し
 いと願うものが、ある。必要と大切は違う。少なくとも俺にとっては。
 それが何かは、もう言わないけどな。」

男の静かな声が廊下にわずかに響く。
エリザは歩きながら強く、相手の手を握る。
「部屋に戻るか。」
そうして二人は部屋に戻り始めた。

「きっかけってのは何でもいいんだ。同じ結果に導かれるなら。」
部屋に戻って男が第一声にそう言った。

自分の涙は当分止まりそうにも無い。
男は静かにお茶を入れ始めた。

変だという言葉でごまかしてきた正体が嗚咽であふれでる。
泣きじゃくる迷子が母親を見つけた瞬間に覚える安堵感のように。

エリザは子供のように泣きじゃくりながら
自分のための飲み物を運んでくるシャルロットを見ていた。

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