SolemnAir-home…小説…WORDS■8■JACK
■隣で笑う女と見過ごせない男

カチカルスにとってラテン=ジュライはいわば「天敵」だった。
何を言っても勝てない、嫌な奴の筆頭だった。

じゃあ、そこで肩を震わせて声も立てずに泣いている女は誰だ。
カチカルスはどこか客観的に数歩先にいる女を眺めていた。
人気のない廊下のど真ん中にしゃがみこんで、
一切の音を極力立てないようにして、確実に泣いている。
この距離にしてラテンはカチカルスに気づいていなかった。

ここレイ第七帝国は男尊女卑の文化だ。
全ての優先権は男に与えられ女は政治に関われないのが原則だ。
それを覆したのがラテン将軍だった。
出自は一切不明だが、レイ帝からの許可が下りたという。
その経緯は誰も知らない。
同じく特例が認められ、出自不明である実の妹だけが知り得るところだ。
城内を踏むことが許された時、世界規模の話題になった。

強い、女、だ。
屈強な男どもを叩き伏せて、将軍の座に就いた女。
そんな女でさえ、実の妹が行方不明になれば泣くのか。
カチカルスは内心驚いていた。

***

誰かが、笑った。
「どうせおまえらなんて、どこの誰かもわかんねぇんだ。
 いてもいなくても変わんねぇよ。」
「それもそうだよな。第一女がここにいるなんて異常だっての。」
「これを機に将軍職を降りたらどーだ?女は町で売りに出てろっての。」
笑いが、起こる。
他国の人、大勢を前にしての、公式的な暴言。
妹、コイネ=ジュライが姿を消して一週間は経ったはずだ。
その間、これらの言葉を浴びてきたのだろう。
それでこの間はついに誰もいないと思い、廊下で泣いてしまったのだろう。
ラテンは何も言わず、無表情で立っているだけだった。
他国の者に席が用意されていても、自国の女に席はない。
やや俯いて、ラテンはただ、立っていた。

「それで?カチカルス殿。お話というのは?」
誰かが切り出した。
もともとキャルロス王国側がかけた集合だった。
「カチカルス殿?」
すぐには返事をしなかった。
「カル?」
隣に座っていた実兄のシャチセルスが顔を覗き込みつつ聞いた。
悪乗りをし始めた場が一時だけ、ほんの一時だけ静かになった。
そこを狙ってか口を開く。
「先日、国を離れていたレン=カルロ特将軍のほうから連絡が入りました。」
場の矯正力が静寂を崩していく。
「なんて?」
聞いたのは誰か。すでに敬語でさえない。
「コイネ=ジュライ殿を保護した、と。」
凍りついたのは驚きのせいか、やましさのせいか。
ラテンが顔を上げたのがカチカルスには解った。
どこで、何があったのだ、と様々な疑問の声が上がったが
一切を無視してカチカルスはラテンに歩み寄った。

天敵、だ。
嫌な奴、だ。

そして、女だ。
線が細い。背も自分よりも低い。

「我が国側のとりあえずの処置としては、姉であるラテン特将軍に我が国へ来ていただき
 後日、詳細を、とのこと。身元証明のこともありますし、今日中にでもお越し願えますか?」

ラテンが「はい」と答えた後、
凍った空間はざわめきに変わった。

***

ひとまずこの国から出られることが
ラテンには嬉しかった。
ここは監獄だ。
自分を見張り貶める、監獄、だ。
城外へ出るための手続きをとりつつ自然に安堵している。
この城でも知る者しか知らぬ枷が、自分たち姉妹にはついている。
この城に入ることを許された時からの、錘(おもり)。
それでも、この城から出たいと願い続けている。

ふっと、ラテンは手を止めた。
一枚の、書類。
キャルロス王国からの申請書、だ。
もう一枚下にある紙は妹が見つかったという報告書だった。
それ自体は在って然るべきものだ。
が、ラテンが手を止めた理由は別のところにあった。

本来この二枚の紙はレン特将軍が書いたものであるはずだ。
妹が見つかった報告書と自分にキャルロス王国まで来させるための申請書。

しかし二枚の筆跡は確実に違う。
片方が完全なる国家の公文書であるのに対して
片方は、個人的権限を行使した公文書、だった。

つまりその人が個人的に責任を負い、話を通した形になっている。
ラテンは、しばしその紙を見続けていた。

***

「なぜお前が?」
女は聞いた。
男は答えなかった。

「答えろ。」
静かにお互い正面を向いたままの状態で隣の男に問いかける。

「ただ単にむかついたから。」
しばらくの沈黙の後に男が返した。
「なぜ?」
「簡単だ。俺の妹だって女だ。」
「それで、なぜ?」
「お前は嫌いだ。あいつらのほうがもっと嫌いだっただけだ。」
「なるほど。それはどうも。」
「お前に感謝されても嬉しくねぇよ。」
「じゃあ、なおさら感謝してやろう。」
馬車がひどく揺れる。
活気のある町は騒がしい。

「バカは私か。」
女が唐突に言った。
「昔、おまえにバカと言ったな。前言撤回だ。」
ごとごと揺れる。
まだ、当分かかりそうだ。
「だったら俺も前言撤回だ。」
言っている意味がわからず思わず女は隣の男を見た。
女をちらりとも見ず、独り言のようにつぶやく。
「あいつらは大嫌いだ。でも、お前は嫌いじゃない。」
一瞬目を丸くして、ラテン=ジュライは腹を抱えて笑い転げた。


まだちっぽけな「何か」は手放せてないけど。
それでも、面と向かってバカと言ったのはこの女だけだった。
自分は今でも子供だけど。

強い、女。
誰も知らないところで弱くなる女。
やはり天敵だ。
勝てない。
なぜ自分がこの隣の女に勝てないのかは解らないのだが。
ただこの間、数歩先で泣いていた女が
自分の隣で今笑っていることがカチカルスは嬉しかった。

BACK----- NEXT----- 小説のメニューページ----- HOME